2021年1月12日火曜日

不思議(妙法)に感謝

源流院主管 坂井信登


 新春勤行会 拝読御書「種々御振舞(おんふるまい)御書」

各々思ひ切り給(たま)へ。此の身を法華経にかうるは石に金(こがね)をかへ、糞に米をかうるなり。仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)等、馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等、南岳(なんがく)・天台(てんだい)等、妙楽(みょうらく)・伝教(でんぎょう)等だにもいまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目(がんもく)たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提(いちえんぶだい)にひろまらせ給ふべき瑞相(ずいそう)に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし。

 令和三年、そして末法のご本仏・日蓮大聖人ご生誕八百年の新春を迎え、法華衆の皆さまと共に、本門のご本尊に法味言上(ほうみごんじょう)申し上げられましたこと大慶に存じます。あけましておめでとうございます。

 正月は妙の一字のまつり(祭)と申します。

「まつり」とは「祀(まつ)る」の名詞で、神に象徴される超自然に対し、感謝・畏敬(いけい)・鎮魂(ちんこん)の祈りを込め、その念いを供物や行為として捧げることです。

 では、妙の一字のまつりとは具体的にどんな祭りなのでしょう?

 言うまでもなく、「妙」は「妙法蓮華経」五字の一字です。とりわけ妙の一字が正月に配当される意義は色んな説明の仕方があると思いますが、日蓮大聖人は、

 天台(てんだい)云(いわ)く「妙とは不可思議(ふかしぎ)に名づく」等云云。又云く「夫れ一心乃至(ないし)不可思議境(きょう)の意(い)此(これ)に在(あ)り」等云云。即身(そくしん)成仏(じょうぶつ)と申すは此是(これ)なり。(『始聞仏乗義』)

 〝妙とは、私たち人間の言語や思慮が到底及ばない不可思議という意味である。その不可思議な境地は一念三千、すべての人の心に宿っている。〟との天台大師(てんだいたいし)の解説を採用され、「これを悟るのが即身成仏の法門ですよ」と仰せになっています。

 すると、私たちは日々、不思議な法に南無(妙法蓮華経)していることになります。不思議とは…?

 毎年初日の出が見える絶景スポットには、雲霞(うんか)のごとく人々が押し寄せます。お寺の周辺は高層建造物がないので私は自坊から拝めます。さらに、空気の澄み切った冬場は二階のベランダから富士山の頭頂がクッキリ。初日の出と初富士が同時に合掌できるので、新春は、とても清々(すがすが)しい、ちょっと贅沢(ぜいたく)な気分に浸っています。

 ところで、神々(こうごう)しく拝する「初日の出」も、元旦に限られた特異な現象ではありません。太陽が東から昇り、西へ沈む。三六五日、絶え間なく続くこの世で最も「当たり前すぎる」自然の営みこそが実は「不思議」、すなわち「妙法」なんです。

「最近お日さま昇らないね」…地球の自転が停止したということですね。何が起こるか。すべての物体は弾丸(だんがん)や音速を超えたスピードで急ブレーキをかけた状態(慣性(かんせい)の法則?)から、地の果てに叩きつけられ一瞬にして人類は絶滅。従って、こんな会話が交わされることはありません。

「妙法蓮華経」の五字は、宇宙・生命を構成する要素「地水火風空(ちすいかふうくう)」の五大(ごだい)を表します。塔婆や墓石の先端が五輪(ごりん)の形をしているのは、それを化儀(けぎ)として模(かたど)っているからです。

 土台である地球は、水・火(陽)・風・空が、相互に奇跡的(不思議)なバランスを作用させることで生命が育まれおりますが、私たちの身体(生命)に似ていると思いませんか?

 五感が働き、手足を意のままに動かせ、目が見え、耳が聞こえてくれること、休むことなく血液が流れ、心臓が動いてくれていること、生き、生かされている…すべてが不思議で素晴らしいことなんですね。これを一つでも失えば耐え難い苦しみを抱えます。それも逃れがたい四苦生老病死)の定めから、やがてはすべての人の身におとずれます。

 私たちは日々この営みを不思議とは思わず、当たり前と暢気(のんき)に過ごしている…。皆さんは決してそうではありません。

 「妙法蓮華経」がこの不思議と不二(ふに)であるならば、五大や生命(いのち)ある不思議に「南無」している、すなわちお題目を唱えているからです。

 ご承知の通り、南無とは帰命(きみょう)の誓い、そこに「感謝」の心を宿らせることが「乃至法界平等利益(ないしほうかいびょうどうりやく)」であり、法華経のもっとも大切な精神です。

 私たちは、当たり前を失って初めてその有り難さ、不思議に気づく〝題目唱えの題目の心知らず〟に陥りがちな凡夫(ぼんぷ)です。

 「寺院参詣の大事」「法燈相続の推進」、法華講衆の掲げる指針も「よからんは不思議」の限られた時において為(な)せる仏道修行と心得られますようお願いいたします。講衆ご一同の信心倍増、現当二世(げんとうにせい)を祈念申し上げ、年頭の辞といたします。

(寺報「源流」令和3年正月号巻頭言より)

奉祝 日蓮大聖人御生誕800年