2021年3月4日木曜日

春季彼岸会法要(しゅんきひがんえほうよう)



 お彼岸は仏教の発祥地であるインドや中国からの伝承ではなく、 日本において独自に発達した行事です。その始まりは平安時代といわれ、 今からおよそ1200年ほど前から行われてきたと伝わります。

 お彼岸の期間は、春と秋の2回、それぞれ「春分の日」と「秋分の日」を「中日(ちゅうにち)」として7日間営まれます。またこの中日は、それぞれ昼と夜の長さが同じであることから、時が正しいと書いて「時正」ともいわれます。ですから、このお彼岸の時期を正しい節目として、先祖の供養が行われるようになったものと考えられます。


 さらに「彼岸」という言葉には、悟りの境地という意味があります。くわしくは「到彼岸(とうひがん)」といいます。

 これは私たちが、迷いの世界=此岸(しがん・此の岸)から、悟りの世界=彼岸(彼の岸)に至るという意味です。したがいまして「彼岸」とは、仏道修行によって到達するところの仏様の境界、境地のことを指しているのです。


 彼岸期間中の修行については、六波羅蜜(ろくはらみつ・布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)という6種類の具体的な徳目が掲げられ、これを「菩薩(ぼさつ)の心」をもって行なうことが示されています。
 菩薩の心とは、「化他(けた)」といって、自身の得た利(徳)を他人に施すことです。本来の「修行」とは、暝想に耽ったり、肉体的な苦痛を強いるなど「自行」に留まるものではありません。肝心なことは、正しい仏さまの教えに基づく「化他」の慈悲心が備わっているか否かです*このあたりの説明は「秋季彼岸会法要の案内」で述べます。


 ところで、一般には、お彼岸はお盆とともに「お墓参りをする日」という印象が強くあります。本来の意義と一般認識とのズレは「追善供養(ついぜんくよう)」というものの捉え方によるものと思われます。

 「追善」とはその字のとおり、善行(ぜんぎょう・善い行い)を故人に追わせるという意味です。亡くなった人は善行を積めませんから、代わりに生きている者が善い行いを積んで故人(こじん)の成仏を助けようということです。


 この考え方がもとになって彼岸の時期「修行」に励む習慣ができたわけですが、次第に自分の修行よりも先祖に対する供養の意味の方が重視されるようになり、今では「お彼岸」といえば「先祖供養」という考え方が定着してきているようです。

 先祖供養は、まず、我が身の根源である父母、先祖を敬い、奇跡的な確率でいただいた貴重な生命(いのち)に報恩(ほうおん)感謝の気持ちで臨むことが大切です。

 さらに、報恩(恩に報いる)のため、「限りある人生」の価値を少しでも高めようと日々努力することが重要です。お墓参りは、仏さまやご先祖に自分の頑張りや反省を報告する機会と考えましょう。ご先祖に嘘偽りは通用しませんから、普段、客観的に見ることのできない自身の本当の姿が現れるに違いありません。

 日蓮聖人は、「人は善根をなせば必ずさか(栄)う」と仰せになり、このお彼岸の時期は善根や功徳(くどく)を積むためにも大切な時節とされています。

 私たちは、南無妙法蓮華経という「自行・化他」の備わったお題目を唱えることにより、この功徳があまねく世界の人々に流布することを願っております。

 今回は、「先祖供養のお盆」「修行期間のお彼岸」が本来の意義であることを知っていただければ、と思います。