作文が苦手な坊さんの徒然なるブログ
2025年7月22日火曜日
2025年5月27日火曜日
2025年5月5日月曜日
2025年3月2日日曜日
2024年10月13日日曜日
源流院墓地が開園しました。
「源流院墓地」が開園しました。
現在、従来型の一般墓地の区画と、永代供養塔(納骨堂)が備わっています。また、樹木葬の区画も確保し造成準備中です。
【お気軽にご相談ください】
統計的に少子高齢化の回避はたいへん困難であることは衆目の一致するところです。こうした社会的背景や価値観の変化によりお墓のあり方、先祖供養のあり方も多様化しています。
「いまあるお墓を守ってくれるか不安」
「将来的に無縁仏になってしまうかもしれない」
「子や孫に負担はかけたくないが、ご先祖は守りたい」
当寺院においても、このようなお悩みを抱える方からのご相談が年々増加傾向にあります。
誰もが必ずいつかは直面する現実と向き合い、ご先祖をお守りする最善の方法を探るお手伝いをいたします。
大規模な墓地ではありませんが、そのぶん目が行き届きますので「アットホームな墓地」を目指そうと思います。
改葬(お墓の引っ越し)・墓守り(後継ぎ)の問題・費用面の不安など、どうぞお気軽にご相談ください。(見学はいつでも可能ですが、直接相談を希望される場合は事前にご予約ください)
【永代供養塔使用例(1体)】
・合祀(永代供養塔地下にご遺骨を埋蔵) 60,000円
・安置(永代供養塔内の棚に骨壺を個別に安置)150,000円~
いずれも「年間管理費」は必要ありません。
【墓地使用例(一般的な従来型墓地です)】
基準となる墓地永代使用料(墓地代)
1㎡ 180,000円(年間管理費3,000円)
2㎡ 300,000円(年間管理費5,000円)
さらに広い区画をご希望の場合、基準区画を組み合わせ4㎡・8㎡など対応しております。(墓石工事や費用については下記の石材店にご相談ください。)
【お問い合わせ】
埼玉県熊谷市今井172 源流院墓地
源流院墓地管理事務所 048-501-1400
(有)石の店小川 048-525-3303
2021年3月4日木曜日
春季彼岸会法要(しゅんきひがんえほうよう)
お彼岸は仏教の発祥地であるインドや中国からの伝承ではなく、 日本において独自に発達した行事です。その始まりは平安時代といわれ、 今からおよそ1200年ほど前から行われてきたと伝わります。
これは私たちが、迷いの世界=此岸(しがん・此の岸)から、悟りの世界=彼岸(彼の岸)に至るという意味です。したがいまして「彼岸」とは、仏道修行によって到達するところの仏様の境界、境地のことを指しているのです。
彼岸期間中の修行については、六波羅蜜(ろくはらみつ・布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)という6種類の具体的な徳目が掲げられ、これを「菩薩(ぼさつ)の心」をもって行なうことが示されています。 菩薩の心とは、「化他(けた)」といって、自身の得た利(徳)を他人に施すことです。本来の「修行」とは、暝想に耽ったり、肉体的な苦痛を強いるなど「自行」に留まるものではありません。肝心なことは、正しい仏さまの教えに基づく「化他」の慈悲心が備わっているか否かです。*このあたりの説明は「秋季彼岸会法要の案内」で述べます。
ところで、一般には、お彼岸はお盆とともに「お墓参りをする日」という印象が強くあります。本来の意義と一般認識とのズレは「追善供養(ついぜんくよう)」というものの捉え方によるものと思われます。
「追善」とはその字のとおり、善行(ぜんぎょう・善い行い)を故人に追わせるという意味です。亡くなった人は善行を積めませんから、代わりに生きている者が善い行いを積んで故人(こじん)の成仏を助けようということです。
先祖供養は、まず、我が身の根源である父母、先祖を敬い、奇跡的な確率でいただいた貴重な生命(いのち)に報恩(ほうおん)感謝の気持ちで臨むことが大切です。
さらに、報恩(恩に報いる)のため、「限りある人生」の価値を少しでも高めようと日々努力することが重要です。お墓参りは、仏さまやご先祖に自分の頑張りや反省を報告する機会と考えましょう。ご先祖に嘘偽りは通用しませんから、普段、客観的に見ることのできない自身の本当の姿が現れるに違いありません。
日蓮聖人は、「人は善根をなせば必ずさか(栄)う」と仰せになり、このお彼岸の時期は善根や功徳(くどく)を積むためにも大切な時節とされています。
私たちは、南無妙法蓮華経という「自行・化他」の備わったお題目を唱えることにより、この功徳があまねく世界の人々に流布することを願っております。
今回は、「先祖供養のお盆」「修行期間のお彼岸」が本来の意義であることを知っていただければ、と思います。
2021年2月16日火曜日
日蓮大聖人 御生誕会(ごせいたんえ)
2月16日は、日蓮大聖人がご誕生された日で、特に今年は、御生誕800年という大変おめでたい節目となります。
貞応元年(1222)、安房国小湊(あわのくにこみなと=現在の千葉県鴨川)において、貫名次郎重忠(ぬきなじろうしげただ)を父、梅菊女(うめぎくにょ)を母として出生され、善日麿(ぜんにちまろ)と名づけらたと伝わります。
![]() |
日蓮聖人縁起絵巻「御誕生」(狩野典信原図/津山妙法寺蔵)*1 |
聖人は「海人が子なり」、つまり漁師の子であったと言われておりますが、諸説あります。出自についての表現は、自らを身分の低い者と位置づけることにより、末法(まっぽう)の世における成仏の対象は、身分や能力の高下によらず、求道心ある者すべてである。むしろ苦しみ多き弱者こそ信仰心を抱かせ、成仏に導かねばならない、という法華経の根底に流れる平等観が読み取れます。
仏教では、釈尊(しゃくそん・お釈迦様)が亡くなってからの千年を「正法(しょうぼう)」時代、次の千年を「像法(ぞうぼう)」時代、そしてそれ以降を「末法」時代の三時(さんじ)に区分します。
「正法」千年の間は、なんとか釈尊の威光がおよび教えも正しく伝わりますが、千年を経て「像法」に入ると、その威光も衰えはじめ、教えも正しく伝わらなくなってきます。すると、仏像や寺塔など像(かたち)あるものを相争って造立し、教えの中身より、数や規模を誇る世の中(多造塔寺=たぞうとうじ)となってしまいます。
こうして釈尊滅後、正法・像法の二千年が過ぎ、いよいよ「末法」に入ると、「闘諍言訟(とうじょうごんしょう=争いや論争の絶えない)・白法隱没(びゃくほうおんもつ=正しい教えが隠れてしまう)」という、釈尊の威光が消え失せた濁悪(じょくあく)の時代がおとずれます。「末法は万年」とされますから、令和の現在も「末法」真っ只中なのです。
末法に入ったといわれる頃の日本は、「保元・平治の乱」、そして前代未聞の下克上「承久の変」が起こり、朝廷・貴族中心の世の中が瓦解し、武士が治める時代となります。国の形がひっくり返るような激変ですから、人々は先行きの見えない不安にかられました。加えて、毎年のように天変地異(天災)が襲いかかり、人々は生活の基盤を失い、生きる希望の見いだせない暗闇となったのです。日蓮聖人はまさにこの「末法」の夜明けともいうべき時代に誕生されたのです。
さて、釈尊は法華経(ほけきょう)の中で、この「末法」の到来と、その濁悪の時代を託す上行(じょうぎょう)という菩薩(ぼさつ)が再誕し、法華経の教えによって人々(衆生)を救うと預言されています。
日蓮聖人は法華経の教えを求め修学を重ね、この経文の預言にたどり着き「上行菩薩」の意識が芽生えます。さらに、法華経を弘める過程で、幕府や法華経を謗(そし)る人々から何度も命を狙われる迫害を蒙りますが、これも経文の預言通りでありました。こうした経緯から聖人は、「上行菩薩の垂迹*2」、すなわち我れこそは末法を託された「上行菩薩の再誕」であるとの自覚に至ったのです。後年には、釈尊を「月」、自身を「日(太陽)」に譬え、「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。*3」末法の闇を照らす教主(きょうしゅ)たる確信を鮮明にされます。
私たちは、法華経の教えに身命を捧げた(南無妙法蓮華経)聖人のご生涯、さらに日興上人のお仕えする姿から、日蓮大聖人を「末法の仏さま」として拝し「法華経的な生き方」をモットーとする信仰に励んでいます。
余談ですが、釈尊が入滅した2月15日の次の日、2月16日に日蓮聖人がお誕生になっていることも、なにか不思議な因縁を感じます。
源流院においては2月16日のご報恩経はもちろん、毎年第三日曜日に「御生誕祝賀会」を催し、法華衆同士の親睦和合をはかっています。
ご生誕祝賀会の様子 |
*1 特別展 日蓮聖人縁起絵巻の世界―狩野栄川院と池上本門寺(編集発行池上本門寺霊宝殿)
*2「頼基陳状」日興筆
*3「諌暁八幡抄」
*日蓮大聖人のご生涯はあらためて掲載します。
2021年2月1日月曜日
興師会(こうしえ)
2月7日は、日興上人(にっこうしょうにん)の御正当会(ごしょうとうえ・祥月命日)にあたり、「興師会」を奉修します。
日興上人は、今から約770年前の寛元4年(1246)、山梨県の鰍沢(かじかざわ)という所にお生れになったと伝わります。また3月7日のお誕生という資料があります。(*1)
幼少期に日蓮聖人の弟子となり、聖人が佐渡に流された際にはお供をし、さらに聖人滅後もその教えを一生懸命に弘教された方です。
日興上人の書かれた述作や記録、お手紙などは100通程が現存し、ご本尊も約300幅が確認されています。これは聖人のお弟子の中でも随一で、現在に至るまで大事に伝わっています。
日興上人御影画像(大阪・源立寺蔵) |
日蓮聖人は入滅(逝去)の間際に、後事を託す6人の「本弟子(ほんでし・六老僧)」を定められます。この重要な記録(「御遷化記録」)も日興上人が記されました。
聖人入滅後、他の5人(五老僧と称します)の弟子は次第に「天台沙門(てんだいしゃもん・天台宗の僧)」と名乗り始めました。これは日蓮聖人門下に対して幕府が繰り広げた弾圧の余波であると考えられていますが、日興上人ただお一人「日蓮聖人の弟子」と名乗り、妥協することなく聖人の教えを訴え続けました。こうした聖人に対する思い、教えに対する解釈の相違が次第に表面化します。
日蓮聖人の墓所は身延にあり(*2)、六老僧が輪番でお守りすることと決まっていました(「墓所可守番帳事」これも日興上人が記録)が、様々な事情によってこの制度は崩壊してしまいます。
そこで駿河地方を布教拠点とし、地理的に近かった日興上人が、他の五老僧承認のもと身延に住寺され、墓所をお守りすることになりました。しかし、前述の通り解釈の相違を起因として日興上人と五老僧の一人、日向(にこう)師との間に対立が起こります。どういうことかと言いますと、当時、身延の地頭であった波木井実長(はぎりさねなが)氏の謗法行為(法華経や聖人の教えに違背すること)を日向師が黙認、ときには助長し、波木井氏も擁護してくれる日向師の路線を支持する側にまわったのです。日興上人は何度も諫めましたが聞き入られず「泣く子と地頭には勝てぬ」時代背景もあり、やむなく身延を離れる決意をされます。
「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ申し尽し難く候へ」
この決断は日蓮聖人をこよなく恋慕(れんぼ)されていた日興上人にとって断腸の思いでした。しかし、
「いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候え。」聖人の墓所を離れることは辛いが、いかなる場所にあろうとも、根本の師である聖人の教えを正しく継承し、世に訴えることが重要であると表明されました。これは法華経に説かれる「当知是処 即是道場」の心構えで、私たちは「身延離山の精神」として、とても大切にしています。
身延を離山された日興上人は、駿河国上野郷(静岡県富士宮市)の地頭である南条時光(なんじょうときみつ)氏に請われ、現在の大石寺(たいせきじ)の礎(いしずえ)を築かれます。(これ以降は別に書き記します)
さて、このように、日興上人は教えに対してとても厳格な方でありましたが、優しさ、温もりの感じられるお手紙も散見されます。たとえば、京都に遊学(修行・勉強)中の弟子に対し、
「御学門候覧に紙などをもまいらせず候事心本なく候」
「紙などを送ることもできず申し訳ない」と気遣われています。
また、「供養として瓜(うり)が届けられた時、あまりにもおいしそうなので、思わずガブリとかじってしまい、それを供養を届けてくれた者に見られてしまった」というお手紙からは、茶目っ気ともいえる日興上人の人情味豊な一面も垣間見られます。
日常的にも日興上人は、日蓮聖人の命日である13日は勿論のこと、端午や七夕などの節句の日にも、御宝前にお供え物をして聖人へ報恩のお経をあげられていた様子がうかがえます。
このように日興上人は、聖人入滅後も生前と変わらぬ御給仕の姿勢を貫かれ、「法華聖人」であるとか「仏聖人」と日蓮聖人を尊称され、「仏さま」として拝されました。
日蓮聖人が入滅の際に定められた六人の本弟子のなかで、聖人を仏さまと拝したのは日興上人ただお一人なのです。したがって、世界広しといえども「日蓮聖人を仏さま」として拝しているのも「日興門流」のみということになります。
日興上人の遺誡(ゆいかい)として伝えられる二十六箇条の冒頭に、「富士の立義聊かも先師の御弘通に違せざる事」とあります。
聖人の教えを少しも違えることなく行じ、そして伝えることが大切であるということです。
生涯、日蓮聖人をご本仏と仰ぎ、その教えを厳格に護り伝えられた日興上人は、元弘3年(1333)2月7日、88歳でご入滅されました。私たちは日興上人を「門流の祖」と仰ぎ、毎年2月7日を「興師会」と定め、日興上人がお好きだったと伝わる「芹(せり)」を御宝前にお供えし、読経・唱題申し上げます。
(*1)『家中抄(けちゅうしょう)』(大石寺17世日精)
(*2)「いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候」
*少しザックリした説明になってしまいました。日興上人については、後日あらためて丁寧に説明したいと思います。
2021年1月27日水曜日
節分会(せつぶんえ・豆まき)
節分では「豆まき」と「鬼」がセットで登場しますが、これは2つの行事があわせられていることによります。
鬼を追い払うのは中国に倣った「追儺(ついな)」「鬼遣らい(おにやらい)」という儀式によります。悪鬼に扮装した人を弓矢などで射たり追い回すことで、災いを追い払うという儀式です。最初は平安時代の宮廷で行われていたものが、諸国の社寺に伝わってきたものです。これは大晦日の夜に行われていた儀式です。
節分の翌日は立春で、陰から陽に転じていく節目であり、旧暦の正月でも大晦日の陰の極みには諸々の悪鬼が潜んでいるとされ、それを打ち払うことによって正月には生気を取りもどし発展しようと願ったといいます。
この行事が室町時代、農民の間に広がっていく時に一年が終わり新しい年が始まると考えられていた立春の前日の節分に行われるようになってきたとあります。
これに豆まきが加わったのは、「散米」と呼ばれる神事儀礼によるもので、米が豆と代わっていったとする説や、毘沙門天(びしゃもんてん)が鬼を退治するために、大豆で鬼の目を打った(魔の目?魔を滅?=まめ?)というような伝説によります。
私たちの門流においても江戸時代の記録によれば、旧暦の12月20日くらいに行って、世俗の風習である「方違い」のお講として豆まきをやっていたとあります。
ところで、日蓮聖人の認(したた)められたご本尊には「鬼子母神(きじもじん)」「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」という仏さまを守る神様がいますが、元々は恐ろしい悪鬼でした。どんなに恐ろしい悪鬼も法華経の教えを信じることにより、諸天善神となって私たちを守護する。「以信得入」(いしんとくにゅう)を意味しております。
また、33才の厄年を迎えたご婦人から、息災の祈念を依頼された日蓮聖人は、
法華経へみちびかれさせ給ひ候へ。三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいはひ(幸)とならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是れなり。
「法華経の教えに導かれれば、33の厄が転じて33の幸いとなるでしょう。〝7つの災いがたちまちに滅して7つの幸福がたちどころに生じる〟というお経もありますよ」と返信されています。
「災い転じて福となす」という故事もありますが、法華経の解釈にも「変毒為薬(へんどくいやく)」という考えがあります。毒も名医の調合次第では薬となるという意味で、私たちにふりかかる災いや悩みの種も、心の持ちようで乗り越えることができる。そうした心を養うために法華経の信心に励みましょうということです。
世の中のあらゆる出来事も、実はコインの両面、表裏一体。様々な縁(えん)から生じる心の変化でどちらにも行き来できるのです。
日蓮聖人は、「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。」と仰せです。
私たちは欲深いので、嫌なことを他人に押しつけ、楽しいことは自分で独占しがちです。法華経を信ずるものは、苦楽共に引き受ける、これが法華経の悟りを楽しむ姿ですよ、ということです。
私たちの門流は節分会で「福は内、福は内」とだけ発声し豆をまいていますが、上述の法華経の精神に照らし合わせると鬼も引き受け神と為す、「鬼も内」かもしれませんね。
当寺の節分会では、年男、年女、厄年に該当する方が裃(かみしも)を着用し、豆をまいてもらっています。あわせて「厄払い」「無病息災」を祈念し、終了後にお供えの豆で作った呉汁やおみやげのお菓子が参詣者にふるまわれます。
どなた様もお気軽にご参詣くださいませ。
2021年1月12日火曜日
不思議(妙法)に感謝
源流院主管 坂井信登
新春勤行会 拝読御書「種々御振舞(おんふるまい)御書」
各々思ひ切り給(たま)へ。此の身を法華経にかうるは石に金(こがね)をかへ、糞に米をかうるなり。仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)等、馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等、南岳(なんがく)・天台(てんだい)等、妙楽(みょうらく)・伝教(でんぎょう)等だにもいまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目(がんもく)たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提(いちえんぶだい)にひろまらせ給ふべき瑞相(ずいそう)に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし。
令和三年、そして末法のご本仏・日蓮大聖人ご生誕八百年の新春を迎え、法華衆の皆さまと共に、本門のご本尊に法味言上(ほうみごんじょう)申し上げられましたこと大慶に存じます。あけましておめでとうございます。
正月は妙の一字のまつり(祭)と申します。
「まつり」とは「祀(まつ)る」の名詞で、神に象徴される超自然に対し、感謝・畏敬(いけい)・鎮魂(ちんこん)の祈りを込め、その念いを供物や行為として捧げることです。
では、妙の一字のまつりとは具体的にどんな祭りなのでしょう?
言うまでもなく、「妙」は「妙法蓮華経」五字の一字です。とりわけ妙の一字が正月に配当される意義は色んな説明の仕方があると思いますが、日蓮大聖人は、
天台(てんだい)云(いわ)く「妙とは不可思議(ふかしぎ)に名づく」等云云。又云く「夫れ一心乃至(ないし)不可思議境(きょう)の意(い)此(これ)に在(あ)り」等云云。即身(そくしん)成仏(じょうぶつ)と申すは此是(これ)なり。(『始聞仏乗義』)
〝妙とは、私たち人間の言語や思慮が到底及ばない不可思議という意味である。その不可思議な境地は一念三千、すべての人の心に宿っている。〟との天台大師(てんだいたいし)の解説を採用され、「これを悟るのが即身成仏の法門ですよ」と仰せになっています。
すると、私たちは日々、不思議な法に南無(妙法蓮華経)していることになります。不思議とは…?
毎年初日の出が見える絶景スポットには、雲霞(うんか)のごとく人々が押し寄せます。お寺の周辺は高層建造物がないので私は自坊から拝めます。さらに、空気の澄み切った冬場は二階のベランダから富士山の頭頂がクッキリ。初日の出と初富士が同時に合掌できるので、新春は、とても清々(すがすが)しい、ちょっと贅沢(ぜいたく)な気分に浸っています。
ところで、神々(こうごう)しく拝する「初日の出」も、元旦に限られた特異な現象ではありません。太陽が東から昇り、西へ沈む。三六五日、絶え間なく続くこの世で最も「当たり前すぎる」自然の営みこそが実は「不思議」、すなわち「妙法」なんです。
「最近お日さま昇らないね」…地球の自転が停止したということですね。何が起こるか。すべての物体は弾丸(だんがん)や音速を超えたスピードで急ブレーキをかけた状態(慣性(かんせい)の法則?)から、地の果てに叩きつけられ一瞬にして人類は絶滅。従って、こんな会話が交わされることはありません。
「妙法蓮華経」の五字は、宇宙・生命を構成する要素「地水火風空(ちすいかふうくう)」の五大(ごだい)を表します。塔婆や墓石の先端が五輪(ごりん)の形をしているのは、それを化儀(けぎ)として模(かたど)っているからです。
土台である地球は、水・火(陽)・風・空が、相互に奇跡的(不思議)なバランスを作用させることで生命が育まれおりますが、私たちの身体(生命)に似ていると思いませんか?
五感が働き、手足を意のままに動かせ、目が見え、耳が聞こえてくれること、休むことなく血液が流れ、心臓が動いてくれていること、生き、生かされている…すべてが不思議で素晴らしいことなんですね。これを一つでも失えば耐え難い苦しみを抱えます。それも逃れがたい四苦(生老病死)の定めから、やがてはすべての人の身におとずれます。
私たちは日々この営みを不思議とは思わず、当たり前と暢気(のんき)に過ごしている…。皆さんは決してそうではありません。
「妙法蓮華経」がこの不思議と不二(ふに)であるならば、五大や生命(いのち)ある不思議に「南無」している、すなわちお題目を唱えているからです。
ご承知の通り、南無とは帰命(きみょう)の誓い、そこに「感謝」の心を宿らせることが「乃至法界平等利益(ないしほうかいびょうどうりやく)」であり、法華経のもっとも大切な精神です。
私たちは、当たり前を失って初めてその有り難さ、不思議に気づく〝題目唱えの題目の心知らず〟に陥りがちな凡夫(ぼんぷ)です。
「寺院参詣の大事」「法燈相続の推進」、法華講衆の掲げる指針も「よからんは不思議」の限られた時において為(な)せる仏道修行と心得られますようお願いいたします。講衆ご一同の信心倍増、現当二世(げんとうにせい)を祈念申し上げ、年頭の辞といたします。
(寺報「源流」令和3年正月号巻頭言より)
奉祝 日蓮大聖人御生誕800年 |
2020年7月31日金曜日
盂蘭盆会(うらぼんえ・お盆)
盂蘭盆会とは、陰暦7月15日(今の暦では、8月15日)を中心に行われる先祖供養の法要です。
「盂蘭」とは梵語(ぼんご=中期インド語の総称)で、意訳すると「倒懸」(とうけん)といって「さかさづりの苦しみ」という意味があり、大きな苦痛をあらわしています。
『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』には、釈尊(しゃくそん=お釈迦さま)の十大弟子の一人である目連(もくれん)が、餓鬼道(がきどう=むさぼりの強い者の死後の世界)に落ちた母の苦しみを救おうとして、釈尊の教えに従って祭壇(さいだん)を設け、三宝(さんぽう=仏〈悟りを開いた人〉。法〈仏の説いた教え〉。僧〈仏の教えに従い成仏を目指す出家者〉)に供養したところ、母が苦しみから解き放たれ救われたということが説かれており、これが盂蘭盆会の起源であると伝わっています。
このように盂蘭盆会はインドを発祥とし、それが中国に渡り、日本に伝わったものです。日本では西暦600年頃から朝廷の公の仏事として始まったようで、諸大寺から次第に民間の寺院へと普及し、今日のように全国津々浦々の風景として定着しました。
盂蘭盆会は、もともとは中元(ちゅうげん=陰暦7月15日)の節目に先祖を供養することと混同され、旧暦(7月)、新暦(8月)に行うなど地域によって異なり、期間も一定していませんが、現在では新暦の8月13日から15、16日までを「お盆」とするのが一般的です。
日蓮聖人(1222~1282)が弘安2年(1279)に著された『盂蘭盆御書(うらぼんごしょ)』には、盂蘭盆経における目連尊者の説話が取りあげられていますが、当時どのような形で盂蘭盆会が奉修されていたかは具体的に記されていません。
しかし、弟子の日興上人(1246~1333)のお手紙には、毎年お盆の際には日蓮聖人を奉った御宝前(ごほうぜん=日蓮聖人の顕わされた曼荼羅本尊や日蓮聖人御影像が安置されている)に種々のお供えをし、弟子・檀越(だんのつ=信者)が寄り合って盂蘭盆会を営んだと記されています。
私たちの門流においては、盂蘭盆会に際して御宝前と精霊に季節の野菜や果物などを供え、また塔婆(とうば)を建立し、先祖の供養はもちろん、日興上人の姿勢に学び、本仏・日蓮聖人へ更なる精進をお誓いし、読経(どきょう=法華経の方便品と寿量品)・唱題(しょうだい=南無妙法蓮華経)の修行を勤めています。
さらにこの時期には、お経回り(おきょうまわり=僧侶がご信者の家でお経を唱える)やお墓参り(寺院で建立した塔婆や供物などをお墓にそなえ、しきみ・線香・水をあげ、読経・唱題をする)がおこなわれています。
『盂蘭盆御書』に「信ずる法は法華経なり」とあります。古来より当門流では「常盆常彼岸(じょうぼんじょうひがん)」といって、常日頃からお盆やお彼岸の心構えで南無妙法蓮華経と唱題に励み、精進することが信仰の要であると言い伝えられています。
2020年2月28日金曜日
当寺院の新型コロナウイルス感染症対策
*風邪の症状や基礎疾患、また体調に不安のある方は参詣をお控えください。
参詣の際は以下の点につき充分ご留意・ご協力ください。
- 咳エチケット、マスク着用等、考え得る予防対策の徹底をお願いいたします。
- 受付や本堂入り口、その他各所に設置してある除菌スプレー、献膳室のハンドソープ等で手指の衛生を保ってください。
- 本堂内は1.8メートルの間隔で設置してあるイス席のみに制限されています。(現在25席、補助として控え室に5席用意)
- 大声や長時間の会話は厳に慎んでください。
- 換気のため天候にかかわらずサーキュレーター運転、窓を開放しています。
- 面会は談話室ではなく、受付ロビーとさせていただきます(飛沫防止シート設置済み)
- マスクをお忘れの方は受付に用意してあります。お申し出ください。
- 各種行事は「分散」を基本方針とし、回数を増やす等の対策を講じます。
- 首相官邸「新型コロナウイルス感染症に備えて」
- 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症について」
- 埼玉県「感染確認状況や関連情報」
- 熊谷市「市内発生状況」
- NHK「特設サイト 新型コロナウイルス」
- worldometer「COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC」